アジアパラ競技大会2日目の2026年10月19日(月)、オアシス21(名古屋市東区)のONE HEART WORLD「レジェンドアスリートトークショー」のあと、パラ陸上・パラスノーボードの小須田潤太さんと、パラバドミントン元日本代表で名古屋市出身の伊藤則子さんに、しゃちほこニュースがインタビューしました。
21歳で脚を失ってから「できないことができるようになるのが楽しい」と気づいた小須田さんと、40代半ばから本格的にトレーニングを始めて「まさに一緒」と大きくうなずいた伊藤さん。初めて見る人のためのパラバドミントンと走り幅跳びの見どころ、そして「障害のある人にどう接すればいいのか」という質問への、2人の答えをお届けします。

| 名前 | 競技 | 主な経歴 |
|---|---|---|
| 小須田潤太さん | パラ陸上・パラスノーボード | 1990年生まれ、埼玉県所沢市出身。21歳のとき仕事中の事故で右脚を切断。走り幅跳びで東京2020パラリンピック7位入賞、スノーボードでミラノ・コルティナ2026パラリンピックの日本選手団旗手を務め、スノーボードクロス4位。現在はスノーボードに専念し、ゴルフにも取り組む |
| 伊藤則子さん | パラバドミントン | 名古屋市出身。東京2020パラリンピック女子ダブルス銅メダル、パリ2024パラリンピック出場。アジアパラ競技大会は仁川、ジャカルタ、杭州の3大会に出場。2025年3月に引退し、今大会ではアスリート委員を務める |

「少しでも興味を持ってくださった方が一人でもいれば」
――今日、実際にこういうイベントに参加してみていかがでしたか。
伊藤 親子のお客さんも来ていただいて、すごく嬉しかったですし、この場に立てるってことを、地元でこうしてきたからこそかなと思っているので、嬉しいなと、良かったかなと思っています。
小須田 ものすごく良かったなっていうふうに思います。座ってた方はもちろんですけど、周りにあんまり興味ないような人もたくさんいる中で、こういう注目される場所でやらせていただけるっていうのは、ものすごくありがたいなと思いますし、少しでもこの場で興味を持ってくださった方が一人でもいれば、いいことじゃないかなと思います。
初めて見る人へ。パラバドミントンは「クラス」、走り幅跳びは「6本の試技」
――今日は早速、パラバドミントンの試合が行われています。初めて見る人は、どういう見方をすればいいですか。
伊藤 パラバドミントンは、他の競技もそうなんですけど、障害の程度や種類によってクラス分けがあって、クラスによって攻めどころも違うので、この人はどのクラスでどういうルールかって、事前に知識を持って来てもらえると、より競技そのものの楽しみを感じてもらえるのかなと思います。
――小須田さんは、今日はちょうど女子の走り幅跳びが行われています。見どころを教えてください。
小須田 僕自身も義足なので、見どころはやっぱり、義足の選手。前川楓選手という選手がいまして、僕が陸上をやっていた時、一緒に練習をした方でした。
ぜひ、いいジャンプをして目立ってほしいなっていうふうに思いますし、ルール自体は健常者のスポーツと変わらないので、抜きつ抜かれつ、走り幅跳びは6本の試技があって、最後まで目を離せない展開になるんじゃないかなというふうに、とても楽しみにしています。
「ここなら絶対出たい」伊藤さんが競技に戻った理由
――伊藤さんは一度引退されてから競技に戻り、東京パラリンピックで銅メダルを獲得しました。なぜ戻ると決めたのですか。
伊藤 バドミントンは東京パラリンピックで初めて正式種目になったんですね。開催が東京で、自分の生まれた国でパラリンピックが開催されるなんてことはまずないので、引退を決めていた年にバドミントンが正式種目になったことが分かったので、年齢を考えたらちょっともう引退、もう年やなと思ったんですけど、ここなら絶対出たいと思って。もう一回復帰というかやめなかったというか、そのまま継続して目指そうと。
「できないことができるようになるのが楽しい」小須田さんが気づいたこと
――小須田さんは事故で脚を失い、そこから出会いをきっかけに体を動かし始め、さらにいろいろなことに挑戦しています。新しい挑戦をするエネルギーはどこから来るのですか。

小須田 やっぱり楽しかったからですかね。一番は、山本(篤)選手に出会って、彼の後ろを追っかけて始めたっていうのは、一つの大きなきっかけではありますけど、陸上競技もそうですし、スノーボードも、今ゴルフも競技としてやってるんですけど、全部楽しいんですよね。で、全部難しいんですよ。
自分ができないことってものすごくたくさんあるということは、難しければ難しいことほど、楽しめる要素がいっぱいあるっていうことだと思うんです。自分自身、勉強とかもすごい大っ嫌いだったんですけど、今の会社が不動産の会社なんですけど、宅建の試験って、一年に一回、結構難しい国家資格です。
その勉強も結構大嫌いだったんですけど、その試験に受かるって決めて、勉強を少しずつしていったんです。最初、全然わかんないことがちょっとずつわかるようになっていくんですよ。そこに楽しさを感じることができる。障害を負ってから、「できないことができるようになることが楽しいことなんだ」って気づくことができました。好き嫌いじゃないんだなって。
好きだから楽しいとか、嫌いだから楽しいじゃなくて、できないことができるようになるのが楽しいんだなっていうことに気づけたのが、障害を負って足がなくなってよかったっていう言葉をよく使うんですけど、その言葉を使える一つの大きな要因になっている。
――伊藤さんは、今すごく大きくうなずいていましたね。
伊藤 私は、子どもの頃からこういうもんだと思ってたんですけど、使えないのもこんなもんだと思っていました。まさにやれることが嬉しいっていうのも、プロの方にトレーニングとかを見てもらって、こうした方がいいとか、義足を変えて、競技用の義足を作って少しずつ良くなっていく…、それがすごく嬉しくて。
あと東京パラの後も引退しようと思ってたんですけど、もうその時でも40代だったんですけど、良くなっていく自分をすごく感じていて、もっとトレーニングを続けたら良くなるんじゃないかと思って、パリに出たいというよりも、トレーニングを続けたいと思って競技をして、結果、出ることができました。
本当に少しずつできなかったことができる、やればやるだけできるっていうのが、すごく楽しくなってきました。筋トレを延々と一人で黙々とやるのがもう趣味ぐらいになっていたので、まさに好きとかじゃなくて、できるようになることが嬉しくて、本当にまさに一緒だなと、激しくうなずいてしまった。
――失ったからこそ、できるようになるプロセスが楽しみを生み出しているということですね。
小須田 そうですね。物理的にできなくなることがいっぱい出てくるので、できるようになる喜びを感じられる。元々足があったから、僕はそうすごく感じます。だから、障害は、かわいそうじゃないし、障害は、悲しいじゃないし。僕自身は障害を負ったことで、間違いなくそれまでの人生よりも幸せな人生を送れてるなという。そこは伝えていきたい。
ただ全員が全員イコールではないと思うので、本当に体が全く動かせない方も、本当に喋るのが苦手な方もいます。でも障害を持ってでもこういう実績を取っている人もいるよっていうのを伝えていきたいなというふうに思っています。

「障害あるなし関係なく、困ってる人がいたら声をかけるとか、そんな感覚でいい」
――障害のない人は、障害のある人にどう接すればいいのでしょうか。気にはなっているけれど、差し出がましいかなと考えてしまって、ためらうこともあります。
伊藤 障害あるなしの前に同じ人間なんです。皆さんも怪我をしたら、困ったことで助けてくださいって言いますよね。なので、特別声をかけなきゃとかではなく、気になったら声をかければいいと思います。誰もが手を差し伸べてほしく思ってるわけでもないので、その人が、本当は手を差し伸べた方がいいのかもしれないけど、そこまで行くのが自分の今日の目標なんだっていう人も中にはいると思います。
何気なく、何かお手伝い必要ですかって声かけてもらって、その人が大丈夫ですよって言ったらそれでいいんです。本当に自然に、障害あるなし関係なく、この辺でちょっと困ってる人がいたら声をかけるとか、そんな感覚でいいのかなと私は思っています。
小須田 高いところに物があって、(背の)ちっちゃい人が取れなかったら、大きい人が取ってあげる。杖つきの人が大きな荷物を持って階段を登ってたら、明らかに大変そうじゃないですか。持ちますよって言って、上まで持っていくとか。本当に、何も別に変わんないというか、今おっしゃってたことがすべてですね。

これからパラを見に来る人へ「一つのスポーツとして一緒に楽しんでもらえたら」
――最後に、これからパラを見に来てくれる方に一言ずつお願いします。
伊藤 もちろんパラスポーツとして楽しんでいただくっていうのはもちろんなんですけど、本当に選手もスポーツが好きでプレーしているので、一つのスポーツとして一緒に楽しんでもらえたら嬉しいです。
小須田 一緒ですね。本当に、スポーツは見てて楽しいと思うので、いろんな障害があって、いろんなちょっと違うところもありますけど、パラスポーツにしかないスポーツもありますし、知らない競技をより見てほしいかなというふうに思います。
――ありがとうございました。
2人のプロフィール
小須田潤太さんは1990年生まれ、埼玉県所沢市出身。21歳のとき、引っ越しの仕事中の事故で右脚を切断しました。パラ陸上のレジェンド、山本篤選手との出会いから競技を始め、走り幅跳びで東京2020パラリンピック7位。2018年からはパラスノーボードにも挑戦し、2025年の世界選手権バンクドスラロームで日本人パラスノーボーダーとして初めて金メダルを獲得。ミラノ・コルティナ2026パラリンピックでは日本選手団の旗手を務め、スノーボードクロス4位、バンクドスラローム5位でした。現在はスノーボードに専念し、ゴルフにも競技として取り組んでいます。
伊藤則子さんは名古屋市出身。大学4年生のときに名古屋で見たパラバドミントンの日本選手権をきっかけに競技を始め、一度引退したあと、東京パラリンピックで正式種目になったのを機に復帰。東京2020パラリンピックの女子ダブルスで銅メダルを獲得し、パリ2024パラリンピックにも出場しました。2025年3月に引退し、地元開催のアジアパラ競技大会ではアスリート委員を務めています。


「できないことができるようになるのが楽しい」という小須田さんの言葉に、伊藤さんが「まさに一緒」と大きくうなずいた場面が、このインタビューの中心でした。21歳で脚を失った小須田さんと、ほぼ生まれつきの障害がある伊藤さん。2人が別々の道でたどり着いた同じ答えは、競技の経験がない人にもそのまま届く言葉です。アジアパラ競技大会は24日(土)まで。ぜひ一度会場に足を運んでみてください。
ONE HEART WORLDはどんなイベント?
ONE HEART WORLD(ワン ハート ワールド)は、第5回アジアパラ競技大会の大会公式セレブレーション・ファンゾーンです。10月18日(日)から24日(土)まで、オアシス21のアジアパラ競技大会ライブサイトの中で開かれ、入場は無料です。19日から24日は水谷隼さん、松田丈志さん、潮田玲子さんらが日替わりで登壇する「レジェンドアスリートトークショー」、20日から23日はメダリストや出場選手を迎える「アスリートセレブレーション」が予定されています。日別の登壇ゲストと時間割はONE HEART WORLDの記事、ライブサイトのステージや体験コーナーはライブサイトの記事にまとめています。
| 会場 | オアシス21(名古屋市東区東桜1)アジアパラ競技大会ライブサイト内のステージ |
| 期間 | 2026年10月18日(日)〜24日(土) |
| レジェンドアスリートトークショー | 10月19日(月)〜24日(土)、各日18時30分〜(最終日は時間が異なる)。登壇ゲストは日替わり |
| アスリートセレブレーション | 10月20日(火)〜23日(金)19時〜20時。登壇選手は当日発表 |
| 入場 | 無料・予約不要 |
| 公式サイト | ONE HEART WORLD公式サイト |
トークショーで4人が語った地元開催への思い、義足の仕組み、おすすめの競技、競技を始めたきっかけはレジェンドアスリートトークショーの記事にまとめています。開幕日に登壇したEXILEの松本利夫さんの話は松本利夫さんのインタビュー記事、SKE48の2人の話はSKE48の2人のインタビュー記事をどうぞ。
よくある質問(FAQ)
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小須田潤太さんと伊藤則子さんのインタビューはいつ行われましたか?
2026年10月19日(月)、オアシス21のONE HEART WORLD「レジェンドアスリートトークショー」のあとに、しゃちほこニュースが2人同時にインタビューしました。
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小須田潤太さんはどんな選手ですか?
パラ陸上の走り幅跳びで東京2020パラリンピック7位、パラスノーボードでミラノ・コルティナ2026パラリンピックの日本選手団旗手を務めた選手です。21歳のとき仕事中の事故で右脚を切断し、2025年の世界選手権バンクドスラロームで日本人パラスノーボーダー初の金メダルを獲得しました。
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伊藤則子さんはどんな選手ですか?
名古屋市出身のパラバドミントン元日本代表です。東京2020パラリンピックの女子ダブルスで銅メダル、パリ2024パラリンピックにも出場し、2025年3月に引退しました。愛知・名古屋2026アジアパラ競技大会ではアスリート委員を務めています。
※この記事は2026年10月19日にオアシス21のONE HEART WORLDで行った小須田潤太さんと伊藤則子さんのインタビューをもとにしています。発言は本人の言葉のままで、口ぐせのみ省いています。ONE HEART WORLDの日程・出演者は変更される場合があるので、最新の情報は公式サイトで確認してください。